ピーマンの卵

 給食室から縦半分に切られたピーマンが運ばれてきた。はなぐみの子どもたちが手伝えそうな食材がある日には、朝おやつの前後にお手伝いをしている。

 様々な食材に触れる良い機会。自分たちが食べる給食にどんなものが使われているのかも知ることができる。

 切られたピーマンを手にとってみる子どもたち。保育者が二つのピーマンをくっつけて元の一つの形にしてみせると、「ピーマンだ」」と声が上がる。「じゃあ、切ってみよう」と保育者がくっつけていたピーマンを二つに割ってみせる。

 身を乗り出してピーマンの中を見つめ、「なんか入ってる」「これなあに?」と感じたことを素直に口にしている。保育者がすぐに答えを言わず、「そうだねぇ、何か入っているね。」「なんだろうね」とのんびり構えていると、子どもたちは自分なりの答えを探し始める。

 「白いね」「いっぱいあるよ」「タマゴじゃない?」タマゴという発想は保育者にはなかった。大人が想像するタマゴは鶏のタマゴのような形だが、子どもたちの「タマゴ」のイメージは大人とは違うようだ。

 毎日の遊びや生活の中で、子どもたちはいろんなタマゴと出会っている。鶏のタマゴはもちろん、図鑑に出てくる恐竜のタマゴ、クラスで飼っているダンゴムシのタマゴ、散歩中に見つけた木に付いた虫のタマゴなど、子どもが思い描く「タマゴ」は大人の固定観念を覆す、幅広いイメージの中にあるのだ。

 そう考えると、ピーマンの種がタマゴに見えてくる。子どものイメージに乗っかり、「確かに!タマゴみたいだね」と返事をしながら「本当はピーマンの種なんだよ」とそっと呟いてみた。しかし、保育者の言葉は子どもたちのイメージにかき消されたようで、ピーマンの種は「タマゴ」のまま、種取りのお手伝いが続けられていた。

 保育者の言葉を聞いても、誰も「種」という言葉を返してはくれない。別の保育者が「この種を植えたらピーマンできるかな」と声を掛けても知らんぷり。小さく平べったいピーマンの種に、そっと触れたり突ついたり、それがまるで動き出しでもするかのように関わっている。

 ピーマンの種を本気でタマゴだと思っているわけではない。保育者の説明も聞いて、これが種だということも何となくわかってはいるが、想像の世界と混ぜこぜにして楽しんでいるのだ。

 ちょっとしたお手伝いをしながらも、想像力を膨らませ、楽しさを倍増させる力に感動してしまう。子どもたちの想像の世界に入り込み、現実と虚構の世界を行き来する楽しみを、一緒に味わいたいと思った。 

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