全員の物語

 前回、途中で終わっていた劇のタイトル決め。今日の朝の会で改めて子どもたちに尋ねてみた。

 「劇の名前どうしようか。前に人気があったのは、全員の名前が一文字ずつ入った、『コナイシシフシアイワフナカモフの劇』って言うのと、『恐竜の骨VSしろがみ』だったんだけど。そろそろ決めなきゃね。」

 この二つの名前のどちらかに決めて、そろそろ次に進みたい保育者の気持ちを知ってか知らずか、ここに来て、新しく斬新な名前の提案を始めるあおぞらたち。

 「コウモリ劇っていうのは?」「イチゴ劇もいいんじゃない?」「王様劇っていうのは?」

 劇の内容に関係ないものも多い。どう説明しようかと思っていると、とりの子たちが声を上げた。

 「その名前、劇に関係ないじゃん。劇に関係ある名前じゃないと。」

 「全員の名前の入った劇の名前なんだっけ?」

 「コナイシシフシアイワフナカモフ?」

 「それそれ。でも覚えられないね。」

 「全員の名前か…劇を全員でやるからだよね?じゃあ、全員の物語でいいんじゃない。」

 「それがいいじゃん。」

 全会一致で、思いの外すんなりと決まったタイトル「全員の物語」。

 最近は保育者が話し合いをサポートしなくても、子どもたちで話を進めたり、まとめたりすることが少しづつ増えてきた。

 タイトルが決まったところで朝の会を終えたのだが、女子を中心に何人かが「(劇の)紙芝居作りたい」と言って戻ってきた。

 子どもたちはどんな場面から描き始めようかと迷っていたが、「どんなお話だったっけ?」と一緒にストーリーを確認していると、「まずは王子と姫が一緒にいるところからだ!」とイメージが湧いてきたようだ。するとそこからは、「やっぱりお城にいるよね。」「お姫様の部屋もいる。ピンクでね。」「三角の屋根もいるよ。」と互いに意見を交わしながら描いていく。

 みんなで一つのものを作り上げるという活動は、気持ちの行き違いが起きることが多い。何を描くのか、誰が描くのか、いつ交代するのかなど、様々な調整が必要となるとても複雑な工程だからだ。

 ところが今回ばかりは、誰も感情的にならず、「私、お姫様描けるよ。」「お城描きたいな。」「ここまで描いたら変わるね。」といった会話を通して穏やかに進んでいく。

 少し前ならこうは行かなかった。ぶつかりながら理解し合ってきたからこそ、「こういう時には言わない方がいいな。」「譲ってくれるかな。」「こういえば分かってくれる。」などと、相手と自分の気持ちのバランスを取ることができるようになってきたのだと思う。

 こんなことがあった。

 「全員の物語」とタイトルを書いていた時。見本を見ながら一生懸命文字を写し取っていた子に、一人の子が思わず「私、(見本を)見なくても書けるけどね。」とこぼしてしまった。友だちにというようりも、それを保育者に伝えたかったのだと思うのだが、それを聞いた子は悲しそうな表情で、書く手を止めてしまった。

 相手の表情に表情に気付いた子は、これはどうにかしなければと思ったのだろう。「なんか、ここの字上手だな。私は書けるけど下手くそなんだよね。あはははは。」「え?そうなの?」「うんそうだよ。下手下手。」その少しおどけた言い方にみんなが笑いだすと、この話はそれで終わってしまった。

 保育者が子どもたちの諍いを止めたり、間違いを指摘することは簡単だ。でもそれでは、その出来事を通して自分なりに考え、真に学ぶという機会を奪ってしまう。しかし時には、まだ子どもたちが知らない新たな視点を伝えていくことも必要だ。

 どこを見守り、どこを支えていけば子どもたちは学びは最大化するのか、子どもたちと一緒に模索し、成長していかなければいけないと思う保育者だった。

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