初蝉

 灰色の梅雨の雲に覆われて、すっきりとしない日も多いが、かといって長雨になるわけでもなく、おかげで園庭の水遊びが、日に日に活気を帯びてきている。

 そして先週、満を侍して、駐車場の一角に水遊びの横綱が登場。かつて、鉄の骨組みにビニールを張っただけの、簡素なものだった頃は、私たち職員の手でプールを組みあげるのが、園の夏支度のひとコマだったのだが、10年以上前に、この樹脂製のプールとなってからは、それは素人の手には負えない仕事となってしまった。
 業者の人たちが、せっせと組み上げてくれる様子を、園庭から垣根越に、食い入るように見つめている子どもたち。どちらかと言うと、淡々とした地味な作業なのだが、それがプールとわかった者たちにとっては、期待感を掻き立てる特別な風景なのかもしれない。
 そして、これもまた、人の手によって作られていることを、子どもたちが知るのも悪くない。

 まだ幼かった頃、近所をぶらつく私が出会っていたのは、大人たちの働く姿であった。
 農作業、大工仕事、商店、作業場、町工場、飯場、養豚、養鶏…当時の自宅の周辺は、「街」とは程遠く、まだ多くの茅葺き屋根の家屋が残る、集落といった風情が色濃かったので、どれも、そのほとんどが、自宅の一角で営まれていた。
 その軒先から放たれる、様々な音や匂いが、地域一体を覆っていたのである。
 そして、その音や匂いの変化を辿りながらの下校だったので、その家路はいつも長かった。ところどころで歩みを止めては、目の前に広がる、自分の遊びの中にはない大人の営みというものを、飽きもせず眺めていたことを思い出す。
 垣根越しの子どもたちの眼差しは、あの時代と何も変わってはいないのだ。

 この時期の園庭の水道は、子どもたちの水遊びでいつも水浸しなのだが、例年、足元にあんなにはっきりとした水溜りができていたのかな…遊びを眺めながら、そんなことに気がついた。
 そういえば、水道周りのコンクリートと芝との境に、排水用の側溝があったような…記憶違いだったかなと、芝の一部を剥いでみると、何と赤茶けた側溝の蓋が現われた。芝の侵食が水の逃げ道を塞いでいたわけだ。
 早速、時間を見つけて、側溝の発掘に着手したのだが、側溝の蓋に、芝の根が意外にしっかりと密着していて、大量の汗が吹き出す重労働となってしまった。
 作業を進めていくと、芝生と側溝との間に5〜6センチほどの段差ができていることがわかった。つまり、かつては、側溝と同じ高さだった園庭が、この10年足らずの間に、5〜6センチも高くなっていたのだ。

 その理由のひとつは、毎年、芝の種を覆うため、薄く砂を撒いていること。そして何よりの要因は、芝生の枯れ葉や根、樹木の落ち葉などが腐敗分解され、それが土に返って堆積していくからなのだ。
 土だけの園庭なら、きっと、靴や雨風で削られて、どんどんと低くなっていくはずなのだが、草に覆われた園庭は、自ら土を作り出しながら、上へ上と、園庭自体が育っていくのである。
 実は、芝刈りというのは、土に返っていく枯れ草を減らし、地面が高くなっていくのを抑えるという、もう一つの役目もあるのだ。

 発掘ついでに、芝の肥料撒き。最後に、その時の相棒を紹介させてほしい。彼の名は「サンリュウキ」。「散粒機」と書くこれは、肥料や種撒きに使う「一流」の道具。まず上部のケースに粒状の肥料を入れておく。その下の取っ手をクルクルと回すと、さらに下の円盤が回転をする。そこへ上から肥料の粒を落としていくと、それが、遠心力で四方へと見事に飛び出していく。
 初めてこいつに出会った時、そのシンプルで、エレガントな仕組みに感激をしたのを覚えている。
 仕事が生み出す人知とはすごい。

 先週末の早朝、近くの竹林から蝉の今夏第一声が響いた。それはほんの短い間の出来事だった。そしてまだ一匹だけの、小さな声であった。

(園からの便り「ひぐらし」2021年6月号より)

初蝉”へ1件のコメント

  1. より:

    今月も、とても素敵な便りを有難うございました。

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