虫を探しに

 朝から快晴!今日は、2グループに分かれて散歩に出ようと考えていた。散歩先を選ぶための写真のカードを久しぶりに出していると、それに気がついた子どもたちが周りを取り囲んだ。「今日は、お散歩に行こうと思うんだけど、どう?」と問いかけると、「いく!」と意欲的な子どもたち。

 「この前、バッタがたくさんいたんでしょ?先生も見たいな。バッタはどこにいたの?」と尋ねると、「内裏谷戸公園だよ!」と即答。たくさんのバッタとの出会いは、相当印象的だったのだろう。

 すると、「草がいっぱいのところにいたんだよ」と伝えてくれる子がいた。「じゃあ、内裏谷戸公園じゃないところで、バッタがいそうなところはどこかなぁ?」とカードを見ながら呟くと、子どもたちも「んー」とカードを見ながら考え出した。 

 「園周辺」のカードを指差して「ここにいるんじゃない?」「そこはいないよ。草ないもん。」と、お互いに自分の考えを伝え合い一緒に考えている。そして選ばれた場所は「うずまき公園」。カードに草が一番多く映っていたからだろう。

 うずまき公園グループは、「カードを持っていく」「かまきりのカードがいい!」等と、保育室に貼ってある秋の虫のカードを持っていきたいと伝える子が何人もいた。みんなが揃うまでテラスで待っている間も、じっとカードを見つめ、「バッタいるかな」「これは、鈴虫」と会話が続く。期待で胸が膨らんでいることを感じ、たくさんの虫を見つかるといいなと思う保育者だった。

 トンボのメガネに日光が当たり、地面にメガネの色が映ることに気がついた子が「黄色!」と声を上げると、自分のメガネの色も地面に映っているかと、一斉に確認を始める。友だちの発見を自分でも確認したいのだ。

 最初に出会ったのは、園の倉庫の壁にいたカメムシだった。トンボのメガネで観察してから、先へと進む。遊歩道の桜の木の幹に何匹ものカメムシを見つけ、地面に穴を見つけると、「なにかのおうちかな?」と口にしながらしゃがみ込み、アリや毛虫も見つけて観察する。石に空いた小さな穴も何かのお家かと想像するこどもたち。今日は、見るもの全てが虫に繋がっているようだ。「見てー!」と、自分の発見を周りに伝えながら公園に到着。

 「さあ、バッタを探そう!」と意気込んだが、草の中に足を踏み入れてもバッタの気配はない。「あれ?バッタいないね」と少し落胆する保育者たちをよそに、トンボや蝶々を追いかけたり、トンボのメガネを上に掲げて、そこへトンボがとまるのを待ってみたりと思い思いに過ごす。

 お茶を飲もうと日陰に向かうと、小さなバッタやカナヘビ、コオロギ等も発見した。それらは保育者が捕まえて見せると、自分でも持ってみようと挑戦する子が増えたように感じた。真剣な表情で恐る恐る手を伸ばして触れてようとする子も、そのうちに掴み上げるようになるのだろうか。

 「こんなの見つけた!」と保育者が生き絶えたタマムシを発見。岩の上に置くと、躊躇せずに触る子が多かった。生きている虫は怖くても、動かない息絶えた虫は安心なのだ。

 一方、大人の中には、死んで横たわっている生物の方が、むしろ苦手という者も多い。その違いはどこから来るのだろう。それは、大人の方が少しだけ、生命の尊さを知るが故の、死というものに対する畏れなのかもしれない。

 今は、たくさんの生命と関わっていかなければ、いつまでもその意味を知ることはできない。秋の虫とも、たくさん触れ合っていきたい。

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