木蓮の気持ち

 「園長先生〜!」

 そう私に声をかけてくる子どもたちの顔ぶれも、ずいぶんと様変わりしたものと感じる新年度。ほとんどの子が、以前からのつき合いだというのに…急に愛想がよくなって…ちょっと背伸びするこんな姿にも、みんなが進級したことを実感する。

 そして、新米の年長児の間では、もうランドセル選びが始まっていることを日誌を通して知るのだった。

 家族でその色を確かめに行く予定を楽しみにしていた子が、まだ行けてないと肩を落としていた朝。保育者が、「ランドセル作ってみる?」と牛乳パックで作って見せると、少し気分も晴れてきたようで、周囲にも製作の輪が広がる。年下の子も見よう見まねでハサミに夢中。

 すると、その手を動かしながら、先月の式で卒園児たちが歌った曲を口ずさんでいるので、ならばと保育者がホールでピアノを弾き始めると、それを囲んでみんなが歌い始める。その姿は、大人たちが勝手に区切った「年度」を越えた、心地良い「余韻だった」と保育者は語る(4月5日「卒園後の余韻」)。

 新2歳児の保育室では、春の食材、グリーンピースのさや取りのお手伝い。

 さやの中に入る豆をむくのは、初めての経験だ。真ん中で折る者、先端から割る者、それぞれの方法で、自分なりに豆を取り出すことに夢中になっている。

 すると、折ったさやから豆が飛び出した瞬間、「あっ、赤ちゃん生まれた!」と声が上がる。すると周囲も、「赤ちゃん!」「出てきた!」と早速そのユニークな表現に便乗するのだった(4月9日「あかちゃん生まれた」)。

 見立てが本当に得意な子どもたち。実はそれが、ごっこ遊びへと繋がっている。

 これも2歳児の保育室。お絵描きをしていた男児が、「おしまい!」と言ってペンを片付けると、椅子を机の下にしまわずに、別の椅子をそこに繋げていく。「電車だよ〜」と言いながらそれを整えていくと、特に断ることもなく、他児たちがどんどん乗り込んでくる。自分の座る場所がなくなっても、むしろ嬉しそうに椅子を増やしていく男児。

 別の遊びをしていた子らも集まって来て、「南大沢駅に行くの」とお客さんになったり、「しゅっぱーつ!」と車掌さんになったり、「カンカンカン、いいですよー」と遮断機になる子まで。

 それに刺激を受けたのか、別の場所では今度は椅子を横に並べていくと、その前で恐竜を真似たり、ダンスをする子が現れる。まさに劇場だ。すると、人形も横に座らせ観客席から拍手を贈っていた子が不意に立ち上がると、手提げ袋にままごと道具を詰め、「スーパーなの」と戻ってくる。ショーの合間にお買い物!?と、子どもたちの発想の連鎖に圧倒される保育者なのだった(4月18日「どこ行くの?」)。

 「園庭から見える満開の白木蓮。」…そんな書き出しで、その4歳の日誌は始まっていた。

 その花咲く道を通って登園する子の、「下から見ると、もっと綺麗なんだよ。」という話を聞いて、「見てみたい!」というみんなの声で、今日のお散歩コースが決まった。

 その花を見上げながら「すっごく大きいね」と驚く子どもたちに、「みんな上を向いてるね。」と保育者が返すと、「私、知ってる! 太陽の光が栄養なんだよ。」「だからか」…そんな会話も聞こえてくる。

 「私も、太陽の方を向いてみよう。」と保育者が空を仰ぐと、「私もやってみる!」と子どもたち。顔に注がれる陽の光に、「あー暖いねー」「これが咲いてもいいよーの合図なのかも」「こうしてると、花の気持ちがわかるねー」と笑い合う。

 時折そよぐ心地よい風に、「うわ、なんかお花の匂いした。変な匂い!」「ちょっと臭いよね。」という素直な感想にも思わず笑ってしまう。

 ポカポカ陽気、目に鮮やかな花々とその香り、ツルッとした花弁の手ざわり。「身体中で春を感じながら、子どもたちの足取りも軽やかだった。」とそれは結ばれていた(3月25日 「花の気持ち」)。

 春ならではの風景に、さりげなく気づかせていく保育者。そして、五感を通してその心地よさの中へと誘い込んでいくと、ついには、自分たちと「花の気持ち」を重ねる言葉が紡ぎ出されていく。感性とは、こうやって育っていくものなのだ。

 年度を跨いだこの数週間。たくさんの人たちと別れと出会いの言葉を交わし、行政とは膨大な書類を交わし…脇目もふらず、無我夢中で駆け抜けてきた。

 だから私は、こんな保育日誌たちの中で…春を迎えているというわけなのだ。

 ようこそ、せいびへ。
 ようこそ、新年度へ。

(園からの便り「ひぐらし」2025年4月号より)

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