そして、巣立っていった
「卒園式史上、最高気温!」
こんな見出しが踊るのは、当園くらいなのかもしれない。
式終了直後、玄関前にぶら下がる、ちょっと大きめの温度計に目をやると、お昼前というのに、もう24度。式中に時折聞こえた「暑い〜」という子どもの呟きにもうなづける。
ちょっと赤く日に焼けた顔に、「お出かけ?」と問われて、「卒園式」と答えても、あまり納得する人はいないだろう。
三寒四温の3月は、少し天気が傾くだけで、肌寒くて園庭開催を諦めることが多いことを考えれば、これも、このコロナ禍を頑張ってきたみんなへの、ご褒美と受け取るべきなのかもしれない。
卒園式の園庭開催は昔からなのだが、その内容は、回を重ねるごとに、どんどんと変容を遂げてきた。
中心を囲んでみんなで円くなった、式台がなくなった、すると、自分らしいやり方で、証書受けるようになった、すると、園長の式辞もなくなった、当日、戸惑わない程度の簡単なリハーサルになった、その代わり、当日は、新鮮な言葉を受け取れることになった、そして謝恩会という、少しこそばゆい会もなくなった、その代わり、一緒に卒園式を構成するようになっていった。
そうした歩みは、子ども本意の式に近づくことだった。
だから、うまくいった、いかなかったという考え方もなくなっていった、ハプニングも楽しもうとするようになった…これを私は「ライブ感」を大事にすることだと思っている。
これは、どんな行事や活動においても言えることなのだが、予定された一定の手順を、上手にトレースできることに、果たしてどんな価値があるのだろうかといつも考えてしまう。
思わぬ失敗や思いがけない状況に、自分なりどう応じていくのかという経験の方が、ずっと意味があるように思うのだ。
そして、そういった姿を、エールや賞賛、時にユーモアを交えて、周囲が受け止めていく…互いにその状況を、味わい楽しんでいくことが、こうした力を育てていくように思う。
そう言えば、つい先日、市の保健所による巡回指導といったものがあった。
てっきり、給食室の衛生管理をチェックするものとばかり思っていたら、子どもたちとの「食育活動」の様子についても、栄養士から熱心に聞き取っていた。
子どもたちが一番意欲的なクッキング活動は、5歳児くらいになると、「なに作ろう?」「どう作ろう?」とゼロから自分たちで考えていく活動であることや、そこで先日は、野菜スープを作ったことなどを聞いた保健所の職員は、「そんなに野菜が好きなんですか?」と驚いていた。
いや、子どもは決して野菜が大好きなわけではない。全てが委ねられたと感じた時、いっぱしの料理人のごとく、自分たちが料理らしいと思う料理を考え始めるのだ。安易に、大好きなハンバーグやラーメンに飛びつくわけではない。ごっこ遊びの時のように、自己決定が許される場面では、少し背伸びをした、もう一人の自分になるのだ。
そんな保健所とのやり取りを傍で聞きながら、卒園児たちの顔を思い浮かべていた。
今年の5歳児は、新生「こども園せいび」として、初めての卒園児でもある。
今年度4月の「ひぐらし」にも書いたのだが、こども園への移行手続きに追われていると、「園の看板の架け替えを、うっかりするものだよ。」と、他園の園長からアドバイスを受けていたにもかかわらず、同じ轍を踏んでしまった私。
春の頃、駐車場脇に立つ、園名が刻まれたガラスブロックから、とりあえず「保育」の文字だけを抜き取って、さて、どうしたものかと思案をしていた。
そんなことを、度々来園する造形作家のこいちさんに話していたら、卒園する5歳児の何人かが、こいちさんとの木工遊びの中で、ついでに?「こ」「ど」「も」の3枚の木工プレートを作ってくれたことに、大喜びしていたのが、秋の頃。
それなのに、ようやくその取り付けが完了したは最近のこと。
それはきっと、「日々に追われていると、プレートの取り付けを、うっかりするものだよ。」と、誰も私にアドバイスしてくれなかったせいだ。
とにもかくにも…
卒園児諸君、進級児諸君、そして保護者のみなさん…この一年に…深謝。
(園からの便り「ひぐらし」2022年3月号より)