真冬の構図

 さすがの子どもたちも、一瞬、外遊びを躊躇させる事もあるこのところの寒気。ただ、一旦遊びの波に飲み込まれてしまえば、むしろあの炎天下の夏の頃よりも、ずっと長い時間遊びに没頭できるのが、実は冬遊びである。

 これは室内も同じで、夏場は冷房で、バテそうな体を癒しながらの生活だが、冬場のそれは、ぽかぽかした屋内の空気で、段々と活力が引き出される印象だ。

 なので、毎日の保育日誌を通して届く遊びの便りは、寒さとは無縁だ。

 まずは、「折り紙遊び」から。

 手本を見たり創作したり、平面だったり立体だったり。それぞれが思うままに楽しんでいく中、黙々と「切り紙」に取り組む子がひとり。その作品は、いつの間にか手提げ袋いっぱいになっていた。

 早速これをクラスの仲間に紹介した担任。「すげー、これ全部一人で作ったの!?」「いろんな形がある!」と声が上がる一方、「でもこれちょっと難しそう…。」という反応に、「作り方はとっても簡単なんだよ!」と、仲間たちの前で、折って、ハサミを入れて、広げて見せる彼女。そこに現れた、思いもかけない模様の面白さに魅了される子どもたち(12月14日 4・5歳児あかぐみの日誌より)。

 みんなが、切り紙遊びに夢中になっていく姿を見ながら、これがクラスの仲間たちと、毎日を重ねることの意味なのかなと、担任は感じたという。

 次は「風船遊び」。

 2歳児クラスの子どもたちの前で、「紙風船」を膨らませて見せると、みな興味津々。それを一人一人に手渡していくも、ゴム風船と違って口の空いている紙風船を、同じような力で抱えると、すぐに萎んでしまう。その度に、また膨らませてあげながら、保育者は「そっとね」と声を掛け続けていく。遊びに満足すると、段々と次の遊びに移っていく時、みな指の力を抜いて、両手でフワッと棚の上に置けるようなっていた。

 また別の時間、壁面のツリーに雪を積もらせようと、綿の塊を貼り付けていく。たくさんを付けようとするので、その重みで落ちてしまう様子を見て、「少しずつね」と言いながら付けて見せる(1月17日 2歳児はなぐみの日誌より)。

 物事の「名前」と違って、ことの「程度」を言葉で伝えることって実は難しい。試行錯誤する体験の中に、言葉を重ねていく大切さを感じる。

 そして天下の「砂場遊び」。

 「これはチョコケーキ」と言って、鍋の中で砂と水をせっせと混ぜる4〜5歳児に紛れ、「カレーだよ」と言いながら、横から手を出す2歳児。注ぎ入れる水がその鍋から溢れて流れ出すと、2歳児の1人が、「川ができた!」と声を上げる。上に浮かべた落ち葉を魚に見立て、「捕まえた!」とスコップで魚取り。その間も黙々とチョコケーキ作りに勤しむ4〜5歳児たちは、鍋にどんどんと水を注ぐので、砂場の中央は大きな水たまりに。すると今度は「海だ!」と呟いて、「深いよ」「大きいよ」と言葉を交わす2歳児たちなのだった(12月28日 2歳児はなぐみの日誌より)。

 目の前で巻き起こる現象一つ一つに心を動かし、次々と興味を移していく2歳児に比べ、自分たちの遊びを深めていく4・5歳児は、他の遊びに気持ちを奪われることはない。こうした年齢それぞれの遊びを共存させてしまう「砂場」の持つ懐の深さに、改めて感動してしまう。

 さらに、異年齢と言えば…。

 新しい造形遊びの世界を教えてくれるこいち先生と、先日一緒に作った木の小屋に、4・5歳児がペンキ塗りをする。「家の色塗りなんて初めて!」と言いながら、夢中になっている姿に惹かれて、1歳児にじぐみの子どもたちが集まってくる。じっとその動きを見つめていたかと思うと、ついに傍らに合った刷毛を手に取ると、見よう見まねでその輪に加わっていく。(1月12日 4・5歳児の日誌1歳児にじぐみの日誌より)。

 1歳児クラス単独では成立しないペンキ塗り。年上の子の遊びを、こういう形で横からちょっとつまみ食いできる環境が、経験の豊かさや厚みを生むわけだ。

  そして、意外に冬の日誌に多いのが、実は「お散歩」の記録だ。

 少し不思議に聞こえるかもしれないが、散歩の醍醐味は、いつも同じ道のりを歩くこと。いつもの道だからこそ、季節や天候による僅かな変化さえも見逃さず、それを味わうことができるのだ。

 先週にはなかった花が咲いたこと、急に蝉が鳴き出したこと、葉っぱが茶色くなったこと、地面に氷の柱を見つけたこと…もし、毎回行く場所が変わってしまったら、それに気づくことは難しい。気づきこそが、発見へと導いてくれる。

 どうやらこの季節の木枯らしが、その道中の眺めを一変させるらしい。
 保育の日誌が、そのことを教えてくれる。

(園からの便り「ひぐらし」2023年1月号より)

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