「おねがい」なんて言わない

〜 市から届いた「登園自粛要請」の通知を読んで

 昨年の春を思い出します。

 都心を離れたこの地域には、まだ感染者も少なく、得体がしれないという意味の怖さ、それが大部分だったような気がします。
 1回目の緊急事態宣言が出て、初めての登園自粛要請に驚いて身を潜めてみたけれど、だんだんと子どもへの感染リスクが低いこと、感染した場合も軽症、無症状が多いことなどもわかってきました。そして、その事実を頼りにして、園に子どもたちが集まることについては、それほど恐れなくなっていきました。
 ただ、感染リスクの高い大人、特に不特定多数の大人との接触機会だけは減らし、同時に、多数の大人同士が接触する機会も減らすため、行事等の縮小などを実施していった…そんな一年を過ごしたのでした。

 しかし、今度ばかりは少し違っているようです。
 以前とは異なる性格のウィルス(デルタ株)に置き換わっているためとも言われていますが、子どもの感染事例のこの急増ぶりを見ると、「子ども同士なら大丈夫」という期待は、残念ながら今は崩れつつあるように感じます。
 ご存知の通り、子どもという生き物は、3密を避けて育つことは、生物学的にも実に難しい。そうした子ども同士の感染リスクが高まるということは、一度そこにウィルスが侵入した時、それがクラスターとなる確率は、きっと大人以上であるはずです。今や、東京都は新規感染者の2割近くが子ども。沖縄ではもう1/4が子どもとのこと。

 そして、これからは、感染ルートも広がっていくのかも知れません。
 それは、「社会活動の中で感染した大人から、家庭内を経由して、子どもへ」という従来の感染の流れに加え、「園や学校生活で感染した子どもから大人へ」という新たな逆の流れです。

 先行する海外からは、ワクチン接種率が40%を超えると拡大が収束していくというデータが紹介されました。デルタ株の影響なのか、そのことへの勝手な期待も、ここへ来て、なんだか打ち砕かれている…そんな印象です。
 デルタ株は従来株の2〜3倍の感染力。これは水ぼうそうと同じくらいなのだそう。もちろん、ワクチンの接種は重症化を防ぐ効果はあるそうですが、人から人へとウィルスを橋渡ししてしまうことまでは防げないというのが、最近の知見のようです。

 刻々と各園の状況が届いている八王子市の今回の通知からは、その逼迫した状況が伝わってきます。
 特に、2ページ目の上段、「保護者がPCR検査を受けるためにお子様を保育所等に預けることは、絶対に行わないでください。」と、市にしては珍しく、「絶対」という言葉を使って表現していたことが、それを象徴しているようにも感じました。

 私たち施設側へ向けた通知の中では、さらに、
 「保育所等での感染者急増により、保育幼稚園課においても、通常業務の遂行が困難な状況となっています。」
 「市内の自宅療養者も千人を超え、保健所では重症患者への対応に多くの時間を要する状態となって」
 と、今の混乱ぶりが記されていました。そのため、保健所の判断を待たず、保育幼稚園課の判断で、暫定的に2、3 日臨時休園とする場合もあることなどの連絡も受けています。
 きっと私たちも、その渦中に放り込まれた時に、やっとその緊張感を伴う通知の文言の真意を、もっともっと実感するのかもしれません。

 もちろん、お仕事等、保育が必要な時間はしっかりとお子さんをお預かりいたします。これを市の通知では、「真に必要な保育時間」と表現されています。いつもよりは、少しタイトに必要性を見定めていただいて、休園となる事態と、そして何よりも当園に関わるみんなの健康を、互いに守り合っていきたい…そう考えています。

 そのための、一人一人の小さな努力の数々は、なかなか他人の目には触れないものです。そんな人知れない貢献でも、きっと、おてんとう様だけは見てくれているはずです。そして、そうした行動の集合体が、一つの大きな結果を生み出していくのは、やはり事実だと思うのです。
 それでも、休めないお仕事だってある…休めない時だってある…社会を回し、私たちを支えてもらう必要だってある。そんな人たちは、恐縮せずに、門をくぐってきてほしいと思う。
 
 そして、ちょっとしんどくなった時は、私は、医療関係者、保健所をはじめ、最前線で頑張ってくれている人たちの姿を、その中で奮闘している当園の保護者たち…私たちの仲間の姿を思い出すようにしています。

 あえて…「おねがい」なんて言いません。だってこれは、みなさん自身のための、みなさんの仲間のための、行動なのだと思うから。

(園からの便り「ひぐらし」2021年8月号より)

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