もう一つのクリスマスツリー
玄関扉の脇に、本物の庭木の葉を集めて作った、クリスマスツリーが飾られていた。今年は、室内ではなく屋外に、しかも、園庭にある枯れ枝や葉を使って、全てがお手製のツリーをしつらえるなんて、素朴だけれど味わいがあって、いいものじゃないか…と感じ入っていた。
そう思いながら、玄関奥の保育室の方角を覗いてみると、ホールの片隅に、キラキラとした飾りを纏いながら、いつものイミテーションのツリーも、ちゃんと鎮座していた。
その瞬間、そう言えばと、先日、たくさんの枝や葉が、園庭の片隅に積まれていたことを思い出した。聞けば、園庭の庭木の剪定に入った植木屋さんに声をかけ、何かの遊びに使えないかと、切り落とされていく枝や葉を、かき集めておいたとのことだった。
そしてどうやら、それを使って、誰かがツリーを作ったことが想像された。
と同時に、もう一つ思い出したことがあった。最近、あまり使っていなかった、太陽電池で光る電飾を、どこからか探し出してきた保育者に、その光らせ方を尋ねられたこと…これも実は、このツリーに関わることだったのかと、ようやく合点が入った。
私の頭の中で、ぼんやりと繋がったいくつかの場面なのであるが、年末の忙しさにかまけて、ことの詳細を、誰にも確かめぬまま数日が過ぎた頃、私の手元を通ったある保育者による保育の記録によって、ようやくことの全貌を知ることとなった。
それは…私の予想通り、あの積み上がっていた枝や葉を使って子どもたちが作り上げたツリーであった。
そして、最後まで熱心に取り組んでいた2人の子が、飾りつけの材料が足らなくなってくると、ホールのツリーに付属する少し豪華な飾りの入った袋を指差し、この中の飾りを少しもらえないかと、保育者に相談。
そこで保育者は、袋からキラキラと光るモールをひとつ取り出し、ではこれを玄関のツリーにと手渡しながら、「そうだ、この袋の中の飾りを、ホールのツリーにも一緒に飾ってくれない?」と提案。
手伝ってくれる仲間を探しに行って戻ってきた2人は、なんと、その袋の中の飾りを、ホールのツリーではなく、当然のように、玄関脇の自分たちのツリーにせっせと飾り始める。その姿を見た保育者は、思わず「そっちに!?」と声をあげそうになった…というエピソード。
誰が何と言おうと、一番大事なのは、自分たちが作り上げたツリー…その思いを目の当たりにした保育者は、その後、袋の中の飾りを半分ずつ、2つツリーで分け合うことを提案し直したという。
やはり愛着とは、身体感覚を通して、自分の手から生まれ出たものへ…自分とのつながりを実感できるものへと向かっていく…この逸話には、それが本当によく表れていた。そうした物に対してでないと、大切にしようなんて気持ちは、本当は湧き上がってこないのかもしれない。
こうして出来上がったのがあのツリーなのだった。
そして、今は整然と佇むこのツリーができ上がっていった経緯を、私は勝手にわかったような気になっていた。しかし、実はその裏側で、こんな物語が進行していたことを、この記録を読むまで、私は知る由もなかった。私の中ではなかったこととして、時の流れの彼方に置き去りにされる、多くの事の一つだったろう。
自分の生きた一瞬の姿が、誰かに切り取られ、そっと、どこかに刻まれていく…それは、この世に我が身が位置づいた…そんな瞬間にはならないだろうか。
君を見ていた人がいる…保育の記録が、もしその証となるのであれば、ただそれだけで、意味深いものなのではないだろうか。
(園からの便り「ひぐらし」2021年12月号より)