友だちじゃない人

 お散歩先でもある小山内裏公園を、なぜか他園の保育者仲間たちと散策するという機会に出くわした。それは、様々な巡り合わせが重なった、その末の出来事だったのだが。

 その仲間の一人は、少し離れた他市の園の保育者。彼がクラスの子どもたちを引き連れて近所の公園出かけた時、その片隅にしゃがみ込み、じっと地面を見つめる怪しげな人影を目撃する。すると彼と一緒にいた同僚が、予想外の行動に出る。ススっとその男性に近寄っていくと、「何をしているのですか?」と肩越しの声をかけたのだ。そしてその男性が、実はアリの研究者だということが判明する。

 そこで安心した担任たちは、子どもたちも交え、アリや昆虫について色々と質問を投げかけながら、この「アリ博士」といっときの交流を持つのだが、園に戻った後の彼の行動がなんともすごい。覚えていたアリ博士の名前をネットで検索、所属する大学や研究室を突き止めると、ちょうどその頃、昆虫に夢中になっていた子どもたちとさらなる交流を持ってはもらえないかと、博士へと連絡を取ったのだった。
 そして、まずはオンラインで、やがては対面へと、アリ博士と子どもたちとの交流が始まったのが昨年度の春だった。

 その保育者も交えた私たちの交流も、コロナ禍になってからはオンラインが中心で、その間も、この実践に興味深く耳を傾けていた私たち。そしてこの秋、久方ぶりに対面で集まろうということになった時、ぜひアリ博士もご一緒にという流れは、もはや必然となっていた。

 そして何と、その博士の研究フィールドの一つが小山内裏公園という偶然が重なって会場に決まったのだが、日程調整がうまくいかずに晩秋にずれ込む。そして小春日和ならという期待も虚しく、当日は、この秋一番の冷え込みにアリたちはすっかり冬籠り入ってしまった。ただ、子どもたちに負けず劣らず、私たちの矢継ぎ早の問いかけにも間髪を入れずに澱みなく、そして分かりやすく答えてくれる博士の姿は圧巻だった。

 アリの祖先はハチであること、小山内裏公園にはおよそ30種類のアリが生息していること、交尾は女王蟻が飛び立った直後に空中で行われること、交尾を終えたオスは絶命し、働き蟻のほとんどはメスであること、実はその中の2割ほどは働いていないこと、働き蟻の中で次の女王となる順列が決まっていること、ある女王蟻から生まれた家族は、常に他の家族と争っていること、それは家族間で付け合う体臭で区別していること、その戦いの最前線は、余命短い老いたアリが担うこと、複数でエサを箱ぶ時、前方の様子を確認しに行っては戻るという偵察役がいること…あれほど身近な昆虫なのに、ほとんどのことを知らなくて…もうみんな、夢中になって博士の言葉に耳を傾け続けた散策だった。

 たまたま、そうした様々な保育仲間と行き合う事がその後も続き、何かのついでに立ち寄った仲間に園内を案内する機会も多かった。
 午睡の頃に立ち寄ったひとりは、子どもがいない保育室のテーブルに、作りかけの粘土や折り紙細工が少し乱雑に置かれていることに目を止める。そして、「綺麗に片付けられてしまう保育室のありように、いつも違和感を感じていた」とこぼす彼の言葉を聴きながら、この同じ保育室で書かれた日誌を思い出す。

 5歳児が星形を型抜いた後に残った余り紙が、そのまま放置されていたことが気になった保育者。するとそれを見つけた4歳児が、その星形が空いた紙で保育者の服を透かして「青い星」。海の写真を透かしては「海の星」と遊び始める。そして順番待ちをしていたプール遊びへ、その紙を持ったまま駆けて行ってしまうと、その様子を見ていた3歳児から、自分もそれをやりたいと声が掛かる。そこで改めて一緒に星形作りを始めると、今度は切り取った星の方を花火の写真に貼り付けて、造形遊びが始まったのだった。(3〜5歳児の 8月8日「繋がる遊び」より)

 誰かの遊びの痕跡が別の子の遊びを想起していく。ちゃんと片付けてないことが、誰かの手がかりになっていく。こうしたユルさに寛容になれない集団や社会では、よき文化は育たないのかもしれない。そしてこれこそが仲間と暮らすことの意味なのだ。

 それにしても、「友だち」と「仲間」の違いとは何だろう。共に公園を歩いた者たちを、職場の同僚たちを、友だちと呼ぶことには少しためらいを感じる。
 しかし人生のほとんどの時間を共に過ごすのは、実は友だちとは呼ばない人たちだ。そんな仲間たちとの歩み方を、日々私たちは模索しているのかもしれない。

 そして想像を超えるアリ社会の成り立ちに特別な興奮を覚えるのは、そこに何らかの手がかりを、求めようとしているからなのだろうか。

(園からの便り「ひぐらし」2023年11月号より)

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