遅くなるにもほどがある
実は気づいていた。少し驚いていた。開花宣言が出ても、この周辺の桜はぎゅっと蕾を固くしていることが常なのに、こんなこともあるのかと。
打って変わって、今年の東京の開花は昨年よりずっとずれ込んだのだが、園の前を通る遊歩道の桜は、実にその数日前には、数輪ほどが開花していたのだ。
さらに遡ること10日。今年も卒園式で、巣立っていく子どもたちに、バラバラになったパズルのピースを一つ一つ手渡した。そのピース裏にはこう書かれている。「2038・3・27 (土)午後3時、このピースを持って全員集合!」
ちょうど成人式を迎えたその年、みんなでパズルを持ち寄って完成させようという趣向。そして、そんな卒園式恒例の儀式が始まったのが、ちょうど14年前のこと。つまりその初めての3月末の土曜日が、今年、ついにやって来たのだ。
あの頃にはまだなかった園のひろば棟は、そんな若者とその母やら父やら、想定を超える人数でパンパンになった。
当時、卒園記念のスライドショーを作ってDVDに焼いてくれたお父さんから、あらためてその動画をアップしたアドレスをメールで受け取っていた。それをスクリーンに映し出すと一気に記憶が巻き戻されて、歓声と笑いが部屋を覆う。
そこには、今と何も変わらない毎日のようすも、今はもう形を変えた活動や、なくなっている行事も写っている。
ちょうど、令和と昭和の世相のギャップを揶揄した人気のタイムリープ系ドラマが最終回を迎えたばかり。どちらがいいとか悪いとか…そういうものでもなく、その時々の時代の空気を深く吸い込みながら、園の文化やみんなの営みが醸成されていて…そんな、愛おしい毎日が写り込んでいた。
満開の高揚感の到来を、今か今かと待ちわびるうちに月も変わり、それよりひと足先に、たくさんの新入園児たちがやって来ることになった。
進級をした者たちも含め、例年よりも少し落ち着いて見える園内なのだが、それでも、それぞれの思いを内に秘めながらの毎日であるに違いない。
初めて親元を離れたというのに、大きく泣くこともなく、トンとお尻を床に据え、慎重にそして興味深げに部屋を見回していたその翌日には、もう新しい玩具をグルグルと撫で回している。その姿は、いじらしくも逞しい。
そんな新年度の最初の土曜日の風景をすくった、こんな日誌に出会った。
いつもの平日とは違う雰囲気もあってか、まずは保育者とゆっくりと過ごす子もいる。ピタゴラス(マグネット式ブロック)に興じる二人は、それぞれの作品を合体させ、床いっぱいにパーツを敷き詰め「大きな家」を作っている。
保育者同様、その色とりどりの鮮やかな家に魅了された年下の子が、「やりたい」と呟くと、年上のその子たちは、「四角を持ってきて!」とすぐに応じるのだが、あいにく四角形のパーツは品切れ。するとすかさず、「三角が2個でもいいから!」と指示が飛ぶ。
2つの三角を合わせれば四角…なるほど、こうして年上から学んでいくのだなと感心していると、その一方で、ピザや太陽などが作られていて、やがてそれがお家ごっことつながって、ひとつのお話が創られていった。そして気づけば、そこに大勢が集まっていて、大きな遊びの輪が広がっていたという。
「安心できる環境の中では視野が広がり、次第にいろいろなものが見えてくる。」とはその保育者の弁。「ワクワクのきっかけは、園生活の中にまだまだ溢れていそうだ。」と結ばれていた。(4月6日「ワクワクのきっかけ」より)
一見、当たり前で変わり映えのしないいつもの環境の中にだって、実はまだまだ思いがけない楽しさが潜んでいる。それが見えないのは、実は本人の心の状態の問題なのではという考察に、思わず納得。
目新しい刺激的な環境を用意する前に、面白さを敏感に感じ取ることのできる、穏やかで安心できる環境が必要なのだということを、あらためて教えてくれるエピソードだ。
これは、何も子どもたちに限った話ではない。思うように変わってくれない状況や、逆にめまぐるしく変わりゆく周囲を嘆く前に、自身の心持ちやそのありようを、年に一度くらい顧みてはどうかと…桜の季節は教えてくれているのだ。
その花は、さらに遅れて今が盛り。
ようこそ、せいびへ。
ようこそ、新年度へ。
(園からの便り「ひぐらし」2024年4月号より)