雨の模様
時に真下に、時に斜めに、時に太く強く、時に風に舞うように…緑に覆われる園庭が背景になると、雨降りにも、様々な表情があることに気付かされる。
そんな長雨を眺めていた時、ふと昨年目にしたにじぐみ(1歳児)の保育の記録を思い出した。
「ぽつん」「ざぁー」そんな楽しげな声に振り向くと、そこには絵本を覗き込む二人の子ども。手にしていたのは、水が落ちていく様子をモチーフにしたクラスで人気の絵本。
開いたページを指先でなぞる様子を、「指先で水の動きを感じているよう」と表現する担任。
すると突然、その本を独り占めしたいのか、一人の子がお尻の下に隠すようにその上に座り込み、何事もなかったかのように、別の絵本を開いている。時折、お尻の下に目をやりながら。
そして、ふと窓の外に目をやった瞬間、大慌てでお尻の下から絵本を引っ張り出すと、それを抱えて窓の方へと走り寄っていった。
窓の向こう側では、雨が降り出していたのだった。
そして、興奮したように窓の外へ身を乗り出すと、何度も、外と絵本を交互に指差す。先程までなぞっていた絵とそっくりな「水の線」を、この世に発見したこの驚きと感動を、「絵本の世界と現実の世界が見事につながった瞬間」と担任は綴る。
それでも飽きたらずに、絵本を高く掲げ、外の雨降りと見比べようと並べてみたり、ついには、保育者に誘われテラスへ出ると、ピーンと腕を伸ばし、「手のひらを大きく開いて、本物の雨を掴もうとしているかのよう」。
子どもたちにとって生きるとは、こんな出会いと驚きの連続。大きく心を揺らす毎日を送ることのできる子どもたちは、絶対に私たち大人の憧れであるはずだ。
またつい先日は、かぜグループ(4・5歳児クラス)のこんな記録にも出会う。
いよいよ収穫期に入った園庭の夏野菜。さっそく、もぎたてのきゅうりを、クラスのみんなで食することに。
すると向こうから、何やら騒々しい声が響いてくる。
「だから!12人だってば!」
「だから、7人だって!」
「しろぐみ15人でしょ?」
「6人だよ。」
「8人だよ。」
段々とその内容を理解する担任。
収穫したきゅうりを、一体何人で分けることになるのかを相談していたのだが、それを年齢ごとに区分けしたり、欠席者を除いたり除かなかったりと、どうやら、それぞれが勝手な方法でカウントを始めようなのだ。
そして、みんなが興奮しているため、互いに数字の部分しか耳に入らず、それで議論が大混乱をしてしまった模様。
さっそく担任が、それぞれが数えている範囲や条件を確認しながら、「なので、実はそれぞれが正しい」と伝えると、「ああ、そういうことね」と、皆、少し気まずそうな顔で納得している様子。
するとひとりの子が、声をあげた。
「みんな言ってること違うのに、みんな正解って面白い!」
そして、それを担任は、「こういうことを面白いと思えるのが、この時期の子どもたちの「知性」なのだと思う」と結んでいた。
「みんなが正解」という言葉に、素直に納得してしまう子どもたちは、やはり素敵だ。
大人だったらきっと、答えは一つと信じて、次は「数え方」について、議論が始まるのだろう。
そういった子どもたちの「ゆるさ」や「曖昧さ」、そして「いい加減さ」も含めて、それは確かに、この子どもたちの世界の秩序を支える…紛れもない「知性」なのだ。
今の大人たちの中に、こんな知性のひとかけらでも残っていれば…この地球上から、不毛な争いなど、なくすことができるのかもしれないと…少し曇った空を見上げたのだった。
(園からの便り「ひぐらし」2022年6月号より)