カレンダーキッズ
年明けの保育室は、正月遊びが盛んだ。いつ楽しんでも構わない遊びなのに、なぜに正月?と思わなくもないが、凧揚げでは願いを天高く、こま回しで子の独り立ち、すごろくで今年の運試し、羽根つきで厄を跳ね除け、福笑いで笑う角には…どうやら「ゲン担ぎ」が肝のようだ。
写真が刷られた「食べ物かるた」を楽しむ2歳児。眼の前に並ぶ料理にまつわる会話を楽しみながら、少し聞き慣れない名称にも、並ぶ札を見比べながら推理を進める姿に成長を感じる保育者。一枚も取れない友に、手札を分ける姿に「一緒に楽しみたい」という思いを感じたという(1月7日「かるた遊び」)。競い合うスリリングな楽しさのまだ少し手前にある、この時ならではの育ちに感動する。
こちらは、手回しごまに興じる一団。以前なら「回して」と差し出してきたのに、今は「見て、回った!」と声を上げる姿に成長を感じながら、それが日を追う内に、こまの柄で分類したり、軸に掛けるブレスレットの数を競ったり…独自の遊びへと広げる様子に、思わず「置いていかれる」感覚を覚える保育者だった(1月8日「回ってるよ!」)。
迷路だと言って園庭に遊具のマットを並べる4・5歳児たち。「すごろくみたい!」と声を上げると大型積み木でサイコロ作り。「数字じゃなくて、点がいっぱいだよね。」と気づき、ちぎったテープを張っていく。園庭に広がる大型すごろくに集まってきた3歳児に、そっと遊びを手解きする様子に、まさに伝承遊びを感じるのだ(1月6日「お正月遊び」)。
一方、室内に「はっけよーい」と響いた先では、お手製のトントン相撲。その輪が広がり、手狭になった土俵はさらに大きな空き箱へ。すると、その上に大きな綺麗な円を描くにはどうしたら…そのための「丸」探しが始まる。お正月に電子ゲームを楽しんだ子の話に、チンプンカンプンの保育者。昔ならではの遊びに夢中になる姿に、少しホッとしたという(1月7日「はっけよーいのこった!」)。
それは、昨年末最後の保育の日。ついに役目を終える壁掛けカレンダーを、「何かに使えるかな」と子どもたちに手渡した保育者だった。
海中の生物をテーマにしたそのカレンダーの上半分、写真の部分を切り取って床に広げると、3歳の子が「ここ泳げるんじゃない?」とそこでシャチの模型を泳がせ始める。さらに各月をつなぎ合わせていくと、大きな海の世界の完成だ。
「それは違うよ」と言葉を交わしながら、様々な動物たちの中から水で暮らす生き物を選び出し、それぞれの生態に合った場所に配置していく姿に感心していると…残された陸に住む動物たちを、日付だけが並んだ暦の紙片の方へと並べ始めた2歳の子。それを見た年上たちも、なるほど!とばかり一緒に並べようとするのだが、ライオンを手にしたその子に「ガオー!」と蹴散らされ、なかなか数字の敷地に入れてはもらえない。
「どうしようかな〜」と考えを巡らす5歳児に、「こうしたら?」と日付のマス目をマジックの線で囲ってみせる。すぐにその意を察して暦の一角を線で囲うと、「ここは、しまうまのき(日)」と宣言。すると途端に、「この日は僕の日!」と陣取り合戦の様相を呈していく。こうして、「犬には小屋作って」「パンダは笹。はい飲み物どうぞ。」「狭いからもっと広くしてあげよう」と動物ごとにエリアを区分して、諍いのない楽園を築いていく。
すると、暦の中に見つけた自分の誕生日を、「僕は虎の日?」「私は、しまうまの日だ!」と声を上げ始める姿を微笑ましく見つめた保育者だった(12月28日「カレンダーの使い方」)。
一見不要にも見えた数字だけが並ぶ暦の紙片にすら、貪欲に乗り込んでいく子どもたちに、すかさずペンを手渡す保育者。そこがうまく噛み合っていくから、言葉を添えずとも、「そう、それそれ!」と言わんばかりに遊びに没頭していく。
それも、ただマス目を利用するだけなのではない。それが暦であることがしっかりと意識の中には残っていて、そのエリアを「しまうまの日」と表現したり、自分の誕生日と重ねてみたりと、動物の住み家と暦が融合した、何とも不思議で独特なごっこの世界を創り上げていくのだ。
同じイメージ遊びであるのに、前半の海の写真を使った、そこを漂うような純粋な没入感との対比が本当に興味深い。
廃材の活用、想像力、季節への感覚、生物の生態、分類、暦、数字、文字、図形、面積、他者との駆け引き…遊びには、たくさんの学びが凝縮されていることを教えてくれる。一年の務めを終えたカレンダーのこんな見事な終焉を、一体誰が想像できただろうか。
そして、まだ肌寒い朝の保育室に真新しいカレンダーが掛かる時、そこからまた、新しい一年が巡り始めるのだ。
(園からの便り「ひぐらし」2025年1月号より)