海苔とお米の物語

 園庭の冬の芝生の種まきを終え、しばしの養生期間。こうして、また冬へと季節が移ろいでいく。
 そして、この気持ちの良い秋の空気に乗って、あれしよう、これしてみようと、遊びへの少し貪欲な思いのようなものが、園内に広がっていくようにも感じるのだ。
 気候変動を考えると、少し不安になるくらいに安定したこの秋の陽気にせき立てられるように、4〜5歳児はおにぎりを持って、少し遠い畑へと芋掘りに出かけていった。

 そんな芋掘りの前日、あおぐみのみんなで、お芋にまつわる絵本を読んでいたという。

 もう一回というリクエストに何度も応えながら、その絵本を楽しんだ勢いそのままに、お芋の絵を描いてみることに。
 それならば、「みんなで一つの大きなお芋を」と保育者が大きな模造紙を用意すると、筆やローラーを手に、皆意気揚々と集まって来たというのに、個々のイメージ通りに描画が進まない状況に、「つまらなくなってきた」と段々と意気消沈していく子どもたち。

 そこで保育者は、「じゃあ、それぞれのお芋を作ろう」と思い切って軌道修正してみると、画用紙にとどまらず新聞紙を使って立体的に造形をしたりと、その表現のバリエーションが広がっていく。そしてついには、「みんなで作ったものを合わせて大きくしよう」と声が上がり、当初の保育者の願いへと期せずして辿り着いたのだという。(4・5歳児 あおぐみ 10月23日の日誌より

 予定なんてものに縛られずに、子どもを信じてその行く末を委ねてみると、案外、保育者の願う場所へと連れて行ってくれるのかもしれない。自分が心寄せる大人の思いに応えていきたい…このくらいの年齢になれば、そんな思いも育ってくると思うのだ。

 さて当日の朝は、芋掘りそっちのけでおにぎり自慢。家庭で握ってもらう「おにぎり」への、あの特別な思いや高揚感は、一体どこから湧いてくるのだろうか。

 実はこの感動だけは、自分にはどうしても思い出せないのだ。遊びへの没入感や、時に訪れる孤独感、自分ではどうにもできないムシャクシャした感情などは、よく覚えているというのに。

 自分が見守られているという安心感を、「美味い!」という情動を通して噛み締める経験…おにぎりを頬張る子どもたちの間を巡って、それぞれのおにぎりの物語に聞き入りながら、それを確認することが、今は私の安心感にも繋がっている。

 そんな私にも園外の会合などでは、販売品とはいえお弁当というものにありつく日もある。

 先日も、「今、人気の…」と言われながらテーブルに置かれたのり弁。「ご近所で」ならまだしも、都内広域で人気の弁当屋なんてものが存在するのかと、少し驚きながら蓋を開ける。

 紙製の蓋の裏には、食材一つひとつの産地などの説明が書かれていて、海苔の上に配された具材のお味も申し分なし。なるほどなぁと頷きながら、海苔で覆われたご飯を剥がすように頬張ると、突如、その下から見事な味玉の断面が! あちこちの席から、「おっ!」という声が響いてくる。

 なるほど、こんな驚きも人気の秘密なのだなと感心しながら、さらにご飯の塊を引き上げると、ようやく辿り着いた弁当箱の底。が…なぜか黒い。もしやと割り箸の先でスッと底を擦ってみると、漆黒が割れて箱材の色が現れた。それは、もう一枚底に敷かれた海苔だったのだ。

 それを割り箸の先でこそぎ取りながら、果たして、この食べにくい妙な食べ方で合っているのかと、周囲の様子を伺いながら、最後の海苔一枚に、何か得した気分になっている自分に気づくのだ…またもや、まんまとやられてしまっていた。

 さて、それから数日後、少し片手間に、テレビドラマを観ていた時のことだった。主人公が、目の前の弁当箱の蓋を開けた瞬間、その裏側に一瞬お品書きのような文字が映ったような気がして、はっと手を止め画面に眼を凝らす。

 そういえば少し前の場面で、「超人気ですよ」なんてセリフが聞こえたような気もする。すると案の定、味玉の出現に、箱底に張り付く漆黒の海苔に、主人公たちもまんまとやられてしまうのだ。

 やっぱり…有名店だったんだ…何だか、さらなる満足感が、どっと押し寄せて来る。

 まだまだ大人だって、弁当でときめくことくらい、できるのだ。

(園からの便り「ひぐらし」2023年10月号より)

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