大いなる逸脱

 「どうしてそこに、描きたくなるのだろう。」…そんな彼女の思いは、ある朝の2歳児保育室の光景から始まった。

 「カキカキしちゃった…」との報告に目を向けたテーブルの天板には、複雑に絡み合ったカラフルな描線が。それを別の保育者と一緒に、濡らしたティッシュでせっせと拭き取っている子どもたち。

 そして、しばらくが経った頃、「なんで机に、カキカキしちゃいけないの?」と問いかけてみた保育者。すると「カキカキ、ブーなの」とだけ答える。

 「机に描かない」その理由を、この年齢の子に伝えることは難しいと感じた保育者は、「遊び方次第では、ダメなことも良いことにできる」と半透明のビニール袋を机一杯に広げる。さらには壁にもそれを広げていくと、少し戸惑いながら「ここに描いていいの?」と尋ねる子どもたちに「今日は、たくさん描いていいんだよ」と伝える保育者。

 互いの絵を見比べて言葉を交わす者、拾ってきた蝉の抜け殻を描線に沿って歩かせる者、果物に色を塗って恐竜のご飯を準備する者…仲間と関わりながら、画用紙よりもずっとダイナミックに描いていく様子に、「だから机だったのか」と納得をするのだった。子どもの思いを追っていったら、思わぬ環境設定に辿り着いたと、日誌は結ばれていた(8月13日「机に描きたい」)

 「机に描かない」「机に乗らない」…それを、子どもの側に立って、「謎ルール」と日誌の中で言い切る保育者の潔さに心が震える。

 正面切って道徳やマナーを教え込もうとしても、この場合はだけは、そんな大人に合わせておこうという思いを植え付けていくだけなのかもしれない。

 時にそうした子どもを押し込める道徳の枠を超え、興味関心が向かう先へ一緒に心を動かしていくことの方が、その子の可能性を広げていくことにはならないか…そんなことを教えてくれる実践だ。

 それから、数日ほどたったある日の3〜5歳児の粘土遊びの日誌。

 マシュマロ、ピザ、フランクフルト。先日から、4・5歳児が紙粘土で作っていたキャンプごっこのご飯。それが今朝、粉々にちぎられていた。

 「せっかく作ったのに…」と肩を落とす者、怒り出す者。するとその横で、悪びれる様子もなく「ちぎって可愛くしたんだよ。」と声を上げる3歳児。驚いて声も出せずに俯く4・5歳児。

 それが何のための作品なのかを知らない罪のない3歳児に、「ちぎらないでね」と伝えても…と思案した保育者は、この3歳児たちと一緒にキャンプご飯を作ろうと、みんなに提案。「それなら使い方わかるかもね。」「壊さないよね」と4・5歳児も賛成してくれたのだった。

 すると、悪戦苦闘する3歳児に、手取り足取りする指導する4・5歳児たちは、「凄いね」と言われて得意気だ。

 活動後の3歳児に「この前はちぎちぎしちゃったけど、今日は一緒に作って楽しかったね。」と声をかけると、「うん!」という返事の後の、「(ちぎられた人たちは)嫌だったと思う」という言葉に驚く。何かがずっと深く伝わった…そう感じた保育者だった(8月18日「せっかく作ったのに」)

 色とりどりの粘土に、思わず手が伸びてしまった3歳児に、「それくらい察してよ」というのは無理な話。だからといって、湧き上がるモヤモヤを解消できない4・5歳児に、掛ける言葉も浮かばない。

 そこで保育者が選んだのが、「ちぎってしまった子たちを誘ってみる?」と相談を持ちかける第三の方法だった。

 「人の作品を無闇に触らない」…そんな分別を期待する言葉ではなく、体験で、しかも楽しい遊びを通して、他者には別な思いがあったことを、頭でなく心で理解していった3歳児たちだった。

 さらに数日後、そんな3歳児同士を拾った日誌が目に留まる。

 新しく保育室にやってきたリアリティ溢れる恐竜のフィギュア。それを頬を擦り付けんばかりに、夢中になって床に並べている。その傍らには、恐竜図鑑。声を掛けると、保育者も知らない色々なことを教えてくれる。

 ただ、そんな姿に誘われやって来た仲間には、「使ってるから」とフィギュアを貸すことができない。すると、互いに図鑑のイラストを指差し、恐竜の世界を共有していくうちに、「じゃあ、1個いいよ。」「もう1個いいよ。」と手元の恐竜を手渡していくのだった(8月22日「遊びのつながり」)

 「貸してあげようね」…そんなマナーを押し付ける前に、思わず貸したくなってしまう心情に目を向けること、そして仲間になっていくことの意味を教えてくれる実践だ。

 従うのではなく、自分なりにその良し悪しを熟慮していく…それが道徳やマナーだ。そのためには、その道を少し逸脱してみる経験が必要みたいだ。

 時に言葉は無力だ。

(園からの便り「ひぐらし」2025年8月号より)

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