連鎖の海

 おぼろげだ。8月へと月を跨いだあの2週間程の記憶がどうにも曖昧なのだ。

 某感染症の急激な拡大の波に飲まれ、発熱連絡の分析、市との協議、人員のやりくり、園内へのアナウンス…溺れかけていた。ちょうど、市内保育施設の休園等に関するルールが、大きく変更された直後だったことも、判断に手間取る要因となっていた。

 今振り返ると、あの2週間ほどの時間は、ぎゅっと1日に圧縮されているような感覚。事の起こったタイミングやその順序などもよく思い出せない。一瞬で全てが噴出し、気がつけば全てが霧散していた…そんな錯覚に陥る。

 そしてあの時、一瞬正気に戻してくれた唯一の時間、それが夕刻、クラスのブログ(保育日誌)を開く瞬間だった。

 そこには、子どもたちを取り巻く何も変わらない日常があって、読み進めるうちに、少しずつ、落ち着きを取り戻し、何とも言えぬ安堵感に包まれるのだった。

 そして、そこに描かれていたのは、水遊びをはじめとした涼を楽しむ数々の遊びだ。その中で、8/2のはなぐみ(2歳児)の日誌「海を作る」に目を止めた。

 以前の絵の具遊びの中で、一面を青く塗りたくった作品を海に見立て、その中に魚や海藻を泳がせていこうと考えた担任たち。

 保育者と一緒に緑色の紙をビリビリと割いたり、色画用紙の上に、赴くままに絵筆を走らせていく。指先を伝わる感触や音、破れた紙の形や筆ならではの描画を、思い思いに味わっている。

 担任たちは、紙を破きながら、「ワカメにするんだよ」とか、筆を走らせながら、「魚作っちゃおう」といった声を掛けてはいるが、 「かぜグループ(4・5歳児)の部屋にある壁面の海のように、子どもたち自身が明確な目的を持ったり、創意工夫を凝らそうとしているわけではない。」と、年上のクラスと対比させながら、目、耳、鼻、指先などの五感を通して、まずは素材と関わる楽しさを感じてほしいと記している。

 さらには、「まずは保育者が用意した海の演出の中を漂いながら、創作するというプロセスや、出来上がった作品を眺めながら、海やその生き物などに思いを巡らしてみる」くらいの経験で十分であるとも。

 そこで早速、4・5歳児の日誌を遡ってみると、それは6月の頃から、あることをきっかけに、保育室の壁面を利用した大きな「海」の製作が始まっていた。(6/8「海」以降を参照)

 そこには、保育者の思いとも重なり合いながら、子どもたちのイメージする海が、ひと月以上の時間をかけて広がり深まっていく様子が、その時々の日誌に記録されていた。そして、その壁面の前に、潜望鏡まで備える、ダンボールで作った大きな潜水艦まで登場するという展開(6/10「箱を置いてみた」、6/27「にじいろ潜水艦」参照)は、まさに4・5歳児ならではの世界。

 そして、先のはなぐみの日誌から1週間が過ぎた頃。自宅に深海図鑑が届くことを教えてくれる子、折り紙で作ったタコを見せてくれた子などの登場をきっかけに、「さあいよいよ、私たちも海を作る時が来た。」と日誌に記したのが(8/9「うみぐみだから」参照)、クラス名に「海」を冠した、うみぐみ(3歳児)。

 子どもたちが描きやすく、鑑賞もできる高さの壁に模造紙を張ると、「作ったものを飾れるように、海を作ったよ。」と声を掛ける担任。そして、そこに子どもたちが貼っていったその多くが、なんと、画用紙に何本も切り込みを入れたクラゲ、タコ、イカといったユラユラと形を変える軟体動物。

 それもそのはず。最近、ユラユラと形を変えながら揺れる得体のしれない生物が、度々テラスの天井で目撃されている。夏の強い日差しが、軒下のタライの水面に反射して映るこの光の揺らめきを、子どもたちはクラゲと呼んで、その出現を心待ちにしているのだ。そんなエピソードも、これまでの日誌に度々登場している。自分の心に宿るイメージを、指先を巧みに操って表現できるのが3歳児。

 互いの日誌を読んでか、壁面を覗いてか、クラス同士も密かに刺激を交換しながら、緩やかに連帯しているのだ。

 園庭にトンボが舞い始めると、段々と秋の空気に入れ替わっていく。

(園からの便り「ひぐらし」2022年8月号より)

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