スーパーサブの誇り

 園の上空が、やけに騒がしかった。何事かと窓越しに見上げた空には、複数のヘリコプターが旋回。目を地上に戻すと、土曜日というのに、園前の人通りが多くなっていることにも気がついた。

 そしてこの日、色とりどりのたくさんの自転車が、あのニュータウン通りを、猛スピードで駆け抜けていったのだった。新型コロナウィルス感染の再拡大、それに伴う開催への賛否、関係者の相次ぐ辞任…そんな周辺の出来事に気を取られていたせいか、実感が湧かなかったのだが、この日の騒動でようやく感じることができた…国民の複雑な思いも抱き込みながら、オリンピックは幕を開けたのだ。

 先日の開会式の選手入場の場面では、数々の和製コンピューターゲームのBGMが次々と流れ(私には出だしの一曲目しかわからなかったが…)、そして、選手団の持つプラカードの国名は、漫画に使う「吹き出し」の中に記されていた。

 コンピューターゲームにも、漫画にも、それほど熱心なユーザーでもない私にとって、日本のサブカルチャーの世界的な認知度を、あらためて感じた瞬間であった。なるほど、あの鬼退治を描いた作品の、世界的なヒットも頷ける。

 さて、Eテレで夜遅くに放送されている「漫勉」というテレビ番組をご存知だろうか。漫画家の浦沢直樹氏がプレゼンターを務め、ゲスト漫画家の制作過程を追うドキュメンタリー。事前に録画をしたゲスト漫画家が作業場で制作する映像を見ながら、本人と浦沢氏が、互いの制作手法の違いや共通点などをざっくばらんに、ただただ語り合う形で進行する。

 何を隠そう、私はこの番組については、そこそこ熱心なウォッチャーなのである。しかし、当然のことながら、そこに出演するほとんどの漫画家とその作品のことを、私は知らない。それなのに…である。

 一見、何のためらいも迷いもなく、サラサラと滑るように紙面を走っていくペン先。それが通り過ぎた後には、憂いのある表情、躍動感あふれる動き、緻密な背景…それが、みるみるうちに浮かび上がってきて…絵心の足りない自分などには、まるで魔法でも見ているかのように、ドキドキしながら、息を詰めて見入ってしまう。

 作者一人だけの作業場に、唯一響く、ペン先と紙がシャッシャッと擦れる音が、また心地よい。

 1ページに数時間、時には一コマを何十回と書き直すという彼らのこだわりについて、二人の漫画家が交わす言葉は、漫画という表現をそれぞれに突き詰めようとする情熱と、時に哲学的な響きさえ帯びてくるのである。何かを生み出そうと悩みもがく姿や、その時にこぼれ出る言葉に、私はなぜかいつも惹きつけられてしまう。

 やはり日本の漫画は、世界へ向けたこの祭典に相応しい、芸術なのだ。

 五輪新種目のスケートボードでは、日本最年少金メダリストの記録が塗り替えられた。サーフィンにスポーツクライミング、新種目の選手たちはいずれも若い。幸か不幸か、少し人生経験を積んでしまった大人たちから見ると、少し危なげにも見えてしまうのだが、新しい世界に、真っ先に駆け出して行くのは、いつだって子どもや若者たちだ。

 その若さのためか、新種目の選手たちのファッションやヘアースタイル、言語センスにも、サブカルチャーに通ずる匂いを感じる。

 今回の五輪テーマは「多様性と調和」。子どもたちを含めた世代と世代の間にこそ、それが問われている気がしてならない。

 先の「漫勉」という番組タイトルの由来は、「漫画ばかり読んでないで、勉強しなさい」って、よく言われたよねぇ…の略だと聞いたことがある。それまで私は、「漫画のお勉強」という意味だとばかり思っていた。

 もしや、「漫画を勉強しているのですが、何か?」という、あの子ども時代には、うまく切り返すことができなかった「勉強しなさい」への本当の答えを、このタイトルに込めているのかもしれない。

(園からの便り「ひぐらし」2021年7月号より)

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