二刀流を生きる

 当園で講師などもお願いする、保育分野のある研究者から、当園で遭遇したエピソードを、専門誌への寄稿文に挿入したいとの相談があった。

 それは、こんな場面。

 砂場で遊ぶ2歳児が、それを観察していた彼女に、料理を差し出してくれた。早速、指を箸に見立て、マスク越しに食べようとすると、「待って!」との声が。その子は、「シュッシュ!」と言って、手に持ったスコップを彼女の手にかざしたのだという。その世界に誘われるように、彼女もすかさず「シュッシュ」と再現して返すと、「彼と私の間には、まるで本物の消毒液が存在しているような感覚になりました。」とのこと。

 そして、「まるでVRの世界にいるように、仮想だけれども本物と同じような機能を持つ消毒液が二人の間に存在し、何かを共有した喜びがありました。」と記されていた。 

 その著作のタイトルは、「リアルとバーチャルとごっこ遊び」。

 子どもたちは、現実(リアル)と、そこには実在しないもの(バーチャル)をミックスさせた世界を行き来しながら、何かを生み出すことを実践している。そんな「ごっこ遊び」の世界を大事にしてあげたい…とそこには綴られていた。

 リアルとバーチャル…子どもにとって、その両者の区別は曖昧で、ごっこの世界で、もう一つの「現実」を生き直している…そんな感覚なのかもしれない。

 そうした話を読んでいると、数年前のあるクラスの保育実践が蘇ってきた。

 園の畑に植える野菜を相談していく中で、トマトとミニトマトの大きさの違いが気になった子どもたち。その大きさを比べてみたことをきっかけに、秤やメジャーなどを使いながら、様々な野菜の重さや、鯉のぼりの長さなど、身の回りの物の「大きさ」へと関心を広げていく。それはやがて、図鑑で見つけた巨大なアナコンダを、実物大で描いていくという活動に発展していく。

 さらにそこから、爬虫類へと興味を広げた子どもたちは、夏祭りに向けたお神輿作りのモチーフに、アナコンダとコブラを選ぶ。そしてこの時、この一連の活動を支えてきた担任の頭の中には、「リアリティ」というテーマが立ち上がっていたという。

 お神輿作りも佳境に入り、一つのものをみんなで作り上げるという「協働」の醍醐味も分かりかけてきた頃、ある子から上がった声が、「ピンク色のヘビを作りたい!」。

 リアリティにこだわりながら進めてきた担任は、少し戸惑いながら調べてみると、ピンク色のヘビが実在することがわかり、ほっと胸を撫で下ろす。そして、こんな思いが頭をよぎる…「このまま全てを現実のもので考えていくって、難しいかも…」。

 また後日、別の子からは、水の中も泳げるアナコンダのために、水のトンネルを作ってはとイメージ図が持ち込まれる。ジャングルらしさも増すと、みんなも大乗り気で、水の表現に工夫をこらしながら、どんどんと製作を進めていると、さらにある子から、

 「トンネルに紫陽花を付けてみては?」

 というアイデア。リアリティのあるジャングルにはどうなのかなという思いが、一瞬、担任の頭をよぎるが、みんなの今の勢いを大切にしたいと、「やってみたら?」と肩を押す。

 そして、トンネルの上部に咲いた、小さな一輪の紫陽花を眺めながら、担任はなぜかホッとしたというのだ。「自由な発想を自由に表現できるって、やっぱり素敵だな。」と。

 そこで、「水に関する物を飾っても面白いかも。」と子どもたちに伝えると、カエル、カタツムリ、魚、オオサンショウウオと発想を広げ、早速折り紙製作が始まる。すると「赤ちゃんをおんぶしたイモリ!」とか、「カタツムリのご飯のキャベツも作ったの」など、それぞれが空想と創造を膨らませ、自分なりの物語を語り始めたそうなのだ。

 リアルの反対はバーチャルではない。反対のそれは、ファンタジー。

 リアル(現実)を投影するバーチャルな世界は、実はまだ少し窮屈で、ファンタジー(空想)こそが、何でもありのずっと自由で創造的な世界だ。

 リアリティを求め、バーチャルを行き交う遊びを通して、現実を生き抜く知恵と逞しさを育み、時にファンタジーの世界を漂いながら、真の自由を満喫し創造力を磨いていく…その両方がないと本当の多幸感は、得られないのかもしれない。

 すると、大人たちに少しだけ足りないもの…それがファンタジー。

(園からの便り「ひぐらし」2022年7月号より)

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