自分の生きた一瞬の姿が 誰かに切り取られ そっと どこかに刻まれていく それは この世に我が身が位置づいた そんな瞬間にはならないだろうか 君を見ていた人がいる 保育の記録が もしその証となるのであれば ただそれだけで 意味深いものなのではないだろうか そこに描かれるのは 保育者の省察であり 保育のプロセスであり 次なる活動の構想であり その日の日誌であり クラスからの便りであり 保育の意味である それは 過去を書きながら 子どもの 保育活動の そして 保育者の 明日を描いていく 行為なのである