メダカの教え
知人にもらったメダカの飼育を、園の玄関前で始めたのがちょうど一年前。遅ればせながらメダカデビューを果たした入門者の驚きや戸惑いを、このひぐらしにも記したことを覚えている(「睡蓮鉢、覗けば」令和5年7月号)。
あの夏、人工の産卵床とやらを鉢に浮かべ、その繁殖を試みる。卵が産み付けられた産卵床を鉢に浮かべたまま成魚たちから隔離するのだが、いつまでたっても孵ることはなく、いつの間にやら卵が消えてしまうということを何度か繰り返すうちに産卵期は終わり、季節は冬へ。
3月某日。越冬を終えようやく水面に現れた姿に「おかえり」と声をかけ、ほっと胸を撫で下ろす。玄関先のこの鉢の中で、何とか生命の連鎖の輪が廻り始めているらしい。
4月上旬。どんどんと産卵床に卵を産み付けていくのだが、それは飼育を始めた昨夏とは比較にならない勢いだ。やっぱり、春には敵わないのかもしれない。さあ、ここから2周目の飼育が始まる。
4月下旬。昨夏、孵化しないことをぼやいていた時、飼育歴が先輩なる保護者から、卵だけ別の水槽に移すことを勧められていた。今年は採卵をして、部屋の片隅で見つけた小さなプラケースに入れてみることにする。
5月上旬。卵の中心に黒い小さな点を見つけた数日後の朝、針のように細く短い微生物を発見。なるほど、だからメダカの子を「針子」と呼ぶのかと納得。
さてここで、ようやく餌の問題に気づく。数日はお腹の袋の栄養で何とかなるらしいのだが、いつもの粉末餌はあの小さな口に入るはずもなく、調べてみるとゾウリムシがよいとのこと。しかもそれを培養して、増やしながら与えていくという、これまた私が予想もしなかった何とも奥深い世界が待っていたのだった。何かを育てるために、その下位の何かを育てていく…ここでも連鎖なのだ。
そうか、自然界の針子はプランクトンを食べている…だったら、睡蓮鉢の水の中にだって…そう考えて少し緑がかった水でプラ容器を満たし、そこに針子を入れた。そして、ペットポトルのキャップの器に粉末餌をパラパラと落とし、それを六角レンチの棒で、針子の口に入るようにとせっせと潰していくのだ。
6月下旬。そういうわけで、あれよあれよという間に、数十匹に膨れ上がっていった子どもたち。これが、園児に勝るとも劣らぬくらい…かわいいのだ。
昨夏以降、さらに驚きと戸惑いを重ねたメダカ生活で、手触りや色味で、無精卵、有精卵の区別もつくようにもなった。
経験を積むとは、「手の抜きどころ」を知っていくことなのだなと、つくづく思う。餌の頻度もどんどんと減って、固まった卵もガシガシと指先でほぐして…雑に適当になるほどに、なぜか失敗も減っていく。すると気持ちの余裕もできて新しいことにも気づいていくので、さらに手順が洗練されていく。この好循環こそ、経験知というものなのだろう。
七夕を迎える頃、玄関の軒下に飾る笹竹をもらいに小山内裏公園へと向かった4・5歳児。
公園スタッフが竹林から切り出してくれた笹竹と、みんなで作りためた笹飾りを交換するのがここ数年の恒例となっている。当日は湿度のせいもあって、バテそうになりながらも何とかみんなで運んだ笹竹だった。
そして、そこに下げる笹飾りを一緒に作っていた保育者が、「笹の葉さ〜らさら〜」と口ずさんでいると、「さらさらって何?」と声がかかる。葉がこすれ合う音だと説明すると、
子「本当? さらさらって聞こえるの?」
保「笹を運んでいた時、さらさらーとか、しゃらしゃらーとか聞こえたな。蛇がシャーて言ってるのかと思った!って言う友だちもいたよ。」
「えー聞いてみたかったな。いいなー。」という声を聞きながら、この子のクラスは笹竹取りに参加していなかったことに気づいた保育者。「生えているところわかったから、今度また聞きに行ってみようよ。」との友だちの言葉に気を取り直す。
「大変だったけれど、笹をもらいに行かなければ、わからないことがあったのだ。」と日誌は結ばれていた(6月28日「笹の葉さらさら」)。
「知る」ことはできても、身体感覚を通さなければ、「わからない」ことも多い。本当の意味で「わかる」とは、そういうことだ。
もう針子とも呼べなくなったメダカたち。今は各クラスへ里子に出すべく、新しい水槽へ分け、その順化を進めているところだ。本当は、手放したくはないのだけれど。
(園からの便り「ひぐらし」2024年7月号より)