睡蓮鉢、覗けば

 室内遊びが充実するのは、梅雨のいっとき、そして底冷えの続く真冬の季節…今はそこへ「盛夏の頃」が加わった。

 プール遊びや水遊びは実は一日の一時、毎日の保育日誌には、屋根の下で繰り広げられる多様な営みの様子が、あれこれと綴られていく。

 ところで、ひと月ほど前、知り合いから十数匹のメダカをもらった。

 さてどうしたものかと思案した時、ちょうど本格的な夏の始まりの頃だったので、昔ながらの日本家屋の玄関先に大きな鉢があって、その中で金魚やメダカが涼しげに泳いでいる光景が目に浮かんだ。そういえば、園の玄関先にプラスチック製ではあるが、大きな植木鉢が転がっていたことを思い出す。そこへ水を貯めて水草なども浮かべながら…なんて想像をしながら色々と調べていくと、これがどうやら、自然循環型の小さな生態系を人工的に構成していくことそのものだということが分かってきた。いわゆるビオトープというやつだ。

 ビオトープというと池や小川などを取り巻く、もう少し大掛かりな環境作りをイメージしていた私は、こんな小さな規模でそれを体験できることを知って、さらに期待に胸を膨らませていったのだった。

 ビオトープ作りは初めてだったので、

水草が水中に酸素を供給し、その酸素でメダカが呼吸をすることくらいは想像できていたが、その中に置く底石は、メダカのフンを分解するバクテリア住むためにあることや、そのバクテリアが水を浄化しながら栄養分を作り出し、それを取り込んでまた水草が育っていくことなど、もう少し細やかで複雑な生態系が、そこに構成されていることもあらためて知ったのだった。さらには、あの大きな鉢は「睡蓮鉢」と呼ばれていることも。

 そして、そんな睡蓮鉢の中を巡る生態系が安定するのには、ひと月くらいの時間を要するのだそうだ。

 そうした全体像が見えてきたところで、いよいよビオトープ作りに取り掛かったのだが、引っ張り出した植木鉢の底に、大きな水抜き穴を発見し手を止める。植木鉢なのだから考えてみれば当然なのだが、まずは、この五百円玉大を超えるこの穴を塞ぐことから始めるのかと少し肩を落としながら、廃材を探って見つけたゴム板片を、強力な接着剤で穴を覆うように留める。

 水草には、メダカが産卵がしやすいホテイアオイがお勧めとあったので、それを求めてショップに出向くと、品切れの上、なんと次回の入荷も未定とのこと。時折、「池のホテイアオイの大量発生に、駆除が追い付かず!」なんてニュースを見かけることもあるというのに、それが市場の場に移ると品薄になるなんて…その不条理にまたまた驚く。

 それにしても、その丈夫さゆえなのか、見栄えのよさなのか、ビオトープや観賞用に売らている水草のかなりの部分が、外来種であるということに改めて気づかされた。

 その呼び名から、日本固有種にも感じるホテイアオイも例外ではなく、適応力の高い外来種ゆえの「大量発生」なのだ。そして、決して身近な池や川に水草を放置・廃棄しないといったマナーは、魚などの水生動物と何ら変わらないことに、言われてみればと納得をしたのだった。

 目の前に小さな生態系のサイクルを完成させようとする試みが、実は、こうした身の回りの生態系へダメージを与えかねない市場を作り出していることに、少し後ろめたさを感じながらも、しかし、そこへ足を踏み入れてみなければ、そのことを気づくことができなかったのも事実だ。

 生態系のアンバランス、それによって引き起こされる大量発生ですら、市場経済との繋がりを持てずに喘いでいるように見えた。

 漂う浮草を器用に避けながら、無心に泳ぎ回るメダカたち。私が日本の原風景として睡蓮鉢を思い浮かべたあの時、既にその中には、和洋を取り混ぜた新たな生態系があったことを、私は気づくことすらできなった。

 新しい十数匹の小さな仲間たちが、新たな学びの場へと連れて行ってくれた…メダカたちが集うその場所を、彼らは「がっこう」と呼んでいた。

(園からの便り「ひぐらし」2023年7月号より)

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