近くの仲間、遠くの仲間

 当日は、予報通りの快晴だった。どんどんと気温も上がり、前日に心配していた風も止んでいた。絶好の卒園式日和…そんな言い回しは当園くらいだろうか。

 間もなくに迫った開式に向け、着々と園庭に会場を設らえていくのだが、今年の椅子の並びは、例年と少し違っていた。

 それは遡ること数週間前の事。「園長先生いる?」という年長児の声に呼ばれて園庭へと出てみると、その中央に円を描くように、内を向いてたくさんの椅子が丸く並んでいる。それも優に直径10メートルはあろうかという大円陣。

 聞けば、卒園式の会場レイアウトを、実際に椅子を並べながら相談しているとのこと。「お母さんと並んで座るんだ。」と説明を受けながら、だからこのサイズなのかと納得。「なるほど。お互いが見えて、いいんじゃないかな。」とその発想に感心していると、なんと「座る席は、くじで決めるんだ。」と言う。しかも、式当日、会場入りする時に、親子で抽選箱から番号札を引くのだそうだ。

 保育日誌によれば、この席順については多少意見が割れたようで…最終的に落ち着いたのがこの方法のようだった( 5歳児 2月28日、3月14131415日の日誌より)。

 さすがに、当日に証書を並べ替えるという混乱は避けようと、それを手渡す順番は席順ではなく生年月日に。なので、名前を呼ばれた子が、どの位置から歩み出て来るのかはその日次第。ただそれも、車座なら何の問題もなく…意外によく考えられているシステムに、思わず唸ってしまうのだった。

 さて、その円陣をさらに取り囲むように、職員ら他の列席者が着席すると開式。そして、少し式が落ち着いた頃、毎年必ず、もうひとかたまりの参列者たちの存在に気づくのだ。

 それはその日、土曜日の保育に登園した後輩たちが2階の窓に張り付いて、じっとこちらを見下ろす視線。今年こそ会場のみんなでそれを見上げ、手を振ってその一団に応えたい考えていたのだが、いざ自分の挨拶になった時には、またその事が頭から飛んでしまっていた。

 ただ今年は、その別会場の参列者の様子が、その日の保育日誌に詳しく記録されていた。

 そこには、保育者たちの服装に、いつもとは違う雰囲気を感じていること、式を眺めやすい2階の保育室で過ごそうと提案したこと、眼下の会場準備の様子に、あれこれと想像広げていることなどが記されていた。

 そして、園庭で職員たちが、式中の歌の伴奏(ウクレレ、ギター、リコーダー、カホンなど)の事前合わせを始めると、その様子に刺激を受け、なんと、その部屋でも保育者のウクレレと子どもたちの鈴の音で、賑やかな演奏会が始まっていたことを私も知ったのだった(3月16日「今日は何の日?」より)。

 園内の出来事が、他の何気ない日常と響き合っていく…これが仲間と生きることの醍醐味。「いつも、とりさん(5歳児)がいなくなっちゃう時はそうだよ。」と、周囲で巻き起こる事の意味を、その時々の理解の中で、それぞれの胸に刻んでいるのだ。

 さて、当園の子育てひろば「いずみ」で活動する編み物サークル「アミーゴ」の面々が、能登半島地震で被災した子どもたちに送りたいと編み貯めてきた、二百余りの毛糸の帽子。先月の初め、段ボール5箱にもなったそれを発送しようとした時、この「ひぐらし」の1月号でも紹介したある事を思い出したのだ。

 それは「何かに使えるくらいよくできている」「このまま終わりにしたらもったいない」と子どもたち自身が手応えを感じていたあの模造紙の描画。すぐに子どもたちに了解を得て、少し味気ない段ボール箱をこの造形作品で表装してみると、生命力が宿ったような味わいのある箱に変身した。

 そして後日、窓口となってくれた石川県の仲間の園から、こんな御礼状が届く。

 先ほど素敵な箱を5つも受けとりました。
 手始めに、輪島市から自園に緊急入園した年少児に被ってもらうつもりです。
 思ったよりたくさんいただいたので、知り合いの園を周り、一つ一つ手渡しできればと考えています。
 本当に心温まる贈物をいただき感謝です。アミーゴの皆さんや子どもたちにくれぐれもよろしくお伝えください。
 取り急ぎ御礼まで。

 時には、ずっと遠くの人たちとも響き合っていきたい。それが、会ったことのない人たちであっても。

(園からの便り「ひぐらし」2024年3月号より)

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